金葉和歌集
思いに耐えかねて、今朝は空をぼんやりと眺めているのだろうか。雲の中の通い路を霞が隔ててしまって。
詳細を見る
金葉和歌集 - 源俊頼
いったい幾度花を咲かせたのだろうか。住吉の松も神代からのものだと聞いているが。
ますらおは山の田の庵で年老いてしまった。この先さらに幾千代の御代にめぐりあおうとするのだろうか。
このままではとても住み続けることはできそうにない。山里の細い谷川のように心細いので。
金葉和歌集 - 行尊
草の庵をどうして露っぽいと思っていたのだろう。雨露の漏らない岩屋の中でも、袖は涙に濡れることだ。
春が来たその日に、つららはもう解けてしまったのに、また何のために滞っているのだろうか。
この世では、山の端から出る月だけを待つことで終わってしまいそうなことだ。
木の間から漏れてくる片割れ月の光のように、ほのかにでも、いったい誰が私のことを思い出してくれるだろうか。
金葉和歌集 - 源師光
春日山の峰続きに照る月の光にも、知られることのない谷の松もあるのだなあ。
うらやましいことだ。つらいこの世を出て、どれほど曇りのない峰の月を見ていることだろうか。
月とともに西へ行けるだろうかと思って、月の光の曇りなく照る峰を訪ねてきたのだ。
ずっと以前から頼みにし続けてきた鈴鹿川よ。思っていたことがかなうという、鈴が鳴るような音が聞こえてくる。
琴の音は、松を吹く風の音に通い合っているのだろうか。千年も続く先例として引き、奏でるべきものであることだ。
うれしいことに、秋の奥山を吹く秋風に、初めて弾いた琴の音が通い合ったことだ。
琴の音は月の光にも通い合うからだろうか、空へと調べが澄みのぼっていくのだろう。
二見の浦には貝が多いので、群がり立つ松の木立が、まるで貝をちりばめた蒔絵のように見える。