山家集 - 西行
一晩じゅう嵐山に風が冷たく吹きつけて、大井川の淀みに氷を一面に張りつめている。
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一面に冷え込む浦風は、どれほど寒いことだろう。千鳥が群れ集まっている、ゆふさきの浦では。
山里では、時雨が降っていたころの寂しさに比べて、嵐の音の聞こえる今の寂しさのほうが、いくらかまさっていることだ。
風が冷たく吹いて、波が打ち寄せるとすぐさま凍りついていき、寄せては返す波もない志賀の唐崎であることよ。
吉野山の雪が、麓には降らない雪であったならば、花かと思って山の奥へ尋ね入っただろうに。
どの山でも、寂しくはあるまいと炭焼きに精を出しているにちがいない。煙が一面にたちこめている、小野の山里であることよ。
山桜になぞらえて眺めると、木ごとに咲いた花は、雪のほうがまさっていることだ。
降り埋める雪を友として、春が来てからもなお日々を送ることになる、深山のほとりの里である。
訪ねてくる人は、初雪のころこそ雪を分けて来てくれたけれども、今はもう道が雪に閉ざされてしまった、深山のほとりの里よ。
年の内は、訪ねてくる人はまったくあるまいよ。雪も深く、山道も深い住まいなのだから。
どうにもならないことだ。凍った筧の水のために、思い捨てたはずの春が、自然と待たれることよ。
いつもの年よりも心細く思われることだ。旅の空で年が暮れてしまったので。
新しい柴の編み戸に立て替えて、年が明けるのを、ずっと待ち続けていることよ。
年が暮れて、かつての年の暮れの営みは忘れられて、それとはまったく違ったさまの支度をしていることだ。
どこでも一様に同じ月日が過ぎてゆくのだから、都でもこのように年は暮れてしまったのだろうか。
もしかすると、私が便りをしないのを恋しく思ってくれる人がいるかと、ためらっているうちに年が暮れてしまった。