金槐和歌集 - 源実朝
名に負うならば、神山の葵、すなわち逢う日という名の草よ、その名にかけて、昔のことを思い出してほしい。
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夜が更けて、稲荷の宮の杉の葉に、白く霜が置いたことだ。
住の江の岸の姫松はすっかり古びたことだ。いったいどの御代に、その種は蒔かれたのだろうか。
月の澄む北野の宮の小松原は、どれほどの世を経て、このように神々しくなったのだろうか。
雪の積もる和歌の浦の松原は、雪が降り、また古びたことだ。玉津島の島守よ、どれほどの世を経てきたのだろうか。
玉津島の和歌の松原では、夢の中でさえまだ見たことのない月の夜に、千鳥が鳴いているようだ。
物思いにふけって眺めていると、吹く風が涼しい。三輪山の杉の梢から出てくる月の光よ。
今新しく造る三輪の神官の杉の社のように、過ぎてしまったことは問わなくてもよい。
年が積もり越してきた越の白山のことは知らなくても、白髪となった私の頭の雪だけは、あわれと見てほしい。
熊野の梛の葉が垂れ下がるほどに降る雪は、神がかけた紙垂であったのだ。
五月雨を幣として神に捧げて、熊野の山時鳥が鳴き響かせているようだ。
熊野の那智の山に引き渡した注連縄のように、長く延びて絶え間なく落ち続ける滝であることだ。
冬ごもりの頃、那智の山の嵐が寒いので、そこで修行する人の苔の衣は薄く感じられることだろう。
大海の中に向かって湧き出る湯があるので、伊豆のお山とはなるほどうまく言ったものだ。
走湯の神とはなるほどうまく名づけたものらしい。速やかなご利益があるからなのだ。
伊豆の国よ、山の南に湧き出る湯の勢いの速さは、神の霊験のあらわれであったのだ。