山家集 - 西行
執着を捨てきれないで命を終える人はみな、范蠡の長男のように、千々の黄金を惜しんで持ち帰るようなものである。
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撞き終えた、あの夕暮れの入相の鐘から、命が尽きるまでの時のなさを、この暁になって思い知ったことだ。
亡き人を霞んだ空に紛れさせてしまうのは、この世とあの世との道を隔てようとする霞の心なのであろう。
散ったと見ると、またあとから咲く花の美しさにも、人の世と同じく、遅れたり先立ったりする例があったのだ。
こうして月を眺めながら、いったいどの年の秋まで、この世に生きてこの月を見る宿縁が私にはあるのだろうか。
どうにかして私は、今宵のこの月を身に添えて、死出の山路をゆく人々を照らしてやりたい。
死んだその時の、蓬の生い茂る下の墓の枕辺でも、きっとこのように虫の声に親しむことであろう。
鳥辺野よ、ここは鷲の峰の末に連なる地なのであろう。火葬の煙を分けて出てくる月の光であることよ。
はかなく過ぎ去った昔を思うにつけても、今もまたそのように、朝顔に置く露のようにはかないのだ。
いっしょに何度も眺めてきた秋の月を、これからはひとりで見ることになるのが悲しいことだ。
たとえ尋ねたとしても、風の便りにさえ聞くことはできないだろう。花と散ってしまわれた女院の行方を。
山家集 - 待賢門院堀河
吹く風が女院の行方を知らせてくれるものであるならば、花と散ってしまわれたあの方にも後れはしないでしょうに。
磨き立てられた玉のように美しい御殿にお住まいだった方を、露の深い野辺に移してお見申すのが悲しいことだ。
今宵こそ思い知らされることだ。わが身は、君との間に浅くない宿縁のある身であったのだ。
いつもとは道の変わった御幸の悲しい今宵であることよ。これが最後の旅だと思って見るにつけても。
もし昔のままの在俗のわが身であったならば、ご供養申し上げたいと思いつくこともなく、ただ嘆いていたことであろう。