山家集 - 寂超
父の歌とともに散り残った言葉を書き集めているうちに、そのまま袖が涙でぐっしょり濡れてしまったことだ。
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山家集 - 西行
年はたっても朽ちることのない、常盤の家の為忠の歌を、さぞかし大原の里で偲んでいることだろう。
山家集 - 想空
家の歌風を伝えるほどのものではないけれども、どうして私のかりそめの歌は散らして差し出してくれないのか。
家の歌風を中心となって伝えるべき長男のもとの歌は、今にも散らして世に出されるであろうと思う歌である。
家の歌風を吹き伝えてきた甲斐があって、散りこぼれる言葉のなんとすばらしいことよ。
山家集 - 藤原公能
家の歌風を吹き伝えたとしても、和歌の浦に貝があるように、甲斐のある歌であるかどうかによってこそわかるのだ。
木枯らしに木の葉が落ちる山里では、木の葉ばかりか涙までもが、こぼれやすくなることだ。
峰を吹き渡る嵐の激しい山里に、その音に加わって聞こえてくる、激しく流れる川の水音であることよ。
訪ねてくる人も途絶えてしまった山里の、この寂しさがなかったならば、かえって住みづらいことだろう。
暁の嵐に連れ立って響いてくる鐘の音を、心の底にまで響かせて聞くことだ。
待たれていた入相の鐘の音が聞こえてくる。明日もまた生きていたならば、この音を聞くことになるのだろうか。
松風の音がしみじみと哀れな山里に、さらに寂しさを加える、ひぐらしの声であることよ。
谷の間に、松もひとりで立っていたのだった。友がいないのは自分だけかと思っていたのに。
夕日が差して沈んでゆく山の向こうがどんな所かは知らないけれども、心だけは前もってそこへ送っておいたことだ。
何ということもなく、汲むたびに澄んでゆく心であることよ。岩の間の泉の水に、自分の姿を映しながら。
水の音は寂しい庵の友なのであろうか。峰の嵐の絶え間ごとに聞こえてくる。