山家集 - 西行
雲取山や志古の山路の寂しさはさておいて、小口の原こそ、寂しくないことがあろうか。
詳細を見る
山の麓を舟で行く人は、どれほど寒いことだろう。熊山岳から吹きおろす嵐に。
折り返し寄せる白波が立っているのかと見えることだ。実は、やって来て止まっている鷺の群れであった。
月の明るい夜には、苦労することもなく夜でも行き来したことだ。隣家へと続く田の畔の細道を。
荒れてしまった沢田の畔に苦参が生い茂って、実りの秋を待つこともできそうにない辺りであることよ。
伝わって流れてくる樋の水を絶えず引き入れるので、山田では水の心配もしないことだ。
身にしみた秋の荻の音とは変わったけれども、雨まじりに吹きしぶく風こそ、本当にもの憂いことだ。
小芹を摘む沢の氷もすっかり解けてなくなり、春らしくなりはじめた桜井の里であることよ。
やって来る春は、峰に霞を先立たせて、谷の筧の水を伝わって来るのであった。
春になった桜の枝は、何ということもなく、まだ花はないけれども親しく慕わしいことだ。
空を渡ってゆく雲であったのだな。吉野山では、花を運んで渡ってゆく風かと見ていたのに。
さらにまた霞に暮れてゆく山路であることよ。春の花を尋ねて出てきた花の曙なのに。
雲がかかってもよい。春はそれを花と見て過ぎてゆこう。どの山もおろそかには思わないで。
雲のかかる山を見ることは、私にとっても思い出であって、花のために馴れ親しんだその親しみを忘れない。
山が深いので霞が立ちこめている柴の庵に、訪れて声をかけてくれるものは、鶯の声だけである。
鶯は田舎の谷に巣を作っているけれども、田舎びた声では鳴かないのであった。