山家集 - 西行
ほかの峰の上も同じ月が照らしているのだろうが、この深い哀れは、この場所ならではのものであるにちがいない。
詳細を見る
月が澄んでいるので、雲は谷の方に沈んでいるように見える。峰を吹き払う風に押し敷かれて。
姨捨というのは信濃国でなくても、どこであっても、月の澄む峰の名であったのだなあ。
どのようにして木々の梢のすき間を探し当てて、この小池の水に今夜月が澄んで映っているのだろう。
仮の庵を結んで草を枕に寝る旅に連れ添って、笹の露にまでも宿っている月であることよ。
梢を漏れてくる月も、あわれを感じているにちがいない。その光に連れ立って、露がこぼれ落ちてくることだ。
十月、時雨が晴れたので、東屋の峰にこそ、月はとりわけ澄みわたっていたことだ。
十月、谷の方でこそ雲は時雨を降らせているようだ。月の澄む峰の上は、秋と変わることなく。
十月、時雨の降る古屋に住む月は、今は曇らぬ光であっても、あてにすることができないことよ。
あわれと思って花を見たこの峰に名を残して、今日はその卒都婆に紅葉が降りかかり、ともに古びていることだ。
分けて行く草の色ばかりでなく、梢までもが色とりどりで、千種の岳は心にしみることだ。
笹が深いので、霧が越えてゆく峰を朝早く出立して、身をかがめ難渋しながら渡ってゆく、蟻の門渡りであることよ。
屏風を立てるように、屏風立ての難所に心を張りつめて思い悩んだのだろうか。行者は引き返し、稚児はとどまってしまった。
この身に積もった言葉の罪までも洗われ、あらわになって消え、心が澄みきった三重の滝であることよ。
ここがまさに仏法が説かれた所なのだと聞いて、その教えを聞く悟りをも得た今日であることよ。
ええ、それならば、幾重とも知れず山を越えて行って、そのまま本当に人から隔てられてしまおう。