山家集 - 西行
言い捨てて去ったあとの行く末を思い出したならば、さて、それではどうなるというのか、浦島の箱は。
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世の中で亡くなる人のことを聞くたびに、無常を思い知りはするのだが、愚かなこの身には、それが身にしみないことだ。
すばらしいことだ。朝倉山の空から、慕うように現れ出た明けの明星の光よ。
名残はどれほど、返す返すも惜しいことだろう。神楽の終わりの「其駒」に立って舞う神楽の舎人たちは。
御手洗川で若菜をすすいで、神に仕える宮人が両手に捧げ持ち、御殿の扉を開くようだ。
九月の力比べの相撲に勝ったことだ。我が方の、片岡の神を強く頼みにして。
今日の競べ馬の駒は、美豆の菖蒲を身に負ってこそ、相手を埒のうちに駆け抜けて通るであろう。
御輿長が声を先立てて、神輿がお下りになる。「を」と応えてかしこまる神の宮人たちよ。
み熊野への参詣がむなしく終わることはあるまいよ。むしたれいたの運ぶ一歩一歩の歩みは。
霊験あらたかな熊野詣でのご利益は、氷のように冷たい水で身を清める垢離によってこそ得られるものであったよ。
初春を隅々まで照らす光を見て、月によってまず知るのだ、御裳濯川の岸に鎮まる神の恵みを。
御裳濯川の岸の岩根に、末長い世をこめて、固くしっかりと建てた宮柱であることよ。
かつて迷い苦しんだ心を誰もが忘れてしまっては、なお世に引き留められているということの、なんとつらいことか。
めいめいに引き合って、自分こそが手に入れたと思っていた人の心は、せはまくの絹のようなものであろうか。
末の世の人の心をも磨くはずの宝の玉までも、塵の中に混ぜてしまったことだ。
悟りの広大なこの教えを、まず説いておいて、そのうえで、真実の道は二つとないのだと、言い極めたのだ。